天の川の心臓部 Heart of the Milky Way

天の川の心臓部
Heart of the Milky Way


Sagittarius A*Wikipedia

 ブラックホールは通常の観測では真っ暗で何も見えない暗黒空間ですが、X線天文学が発展したことで、多くの銀河の中心部にブラックホールが存在することが確認されるようになりました。2011年、国立天文台とJAXAが おとめ座の方向5000万光年に潜むM87のブラックホールの位置を特定、2019年に国際研究チームEHT(Event Horizon Telescope)が人類初となるブラックホールの直接撮影を成し遂げます。2022年5月には世界6カ所にある合わせて8局の電波望遠鏡が連携し、天の川銀河の中心に位置するいて座 A*(Aスター)」の撮影にも成功、それが上の画像です。2022年8月からはジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡がブラックホールの観測を続けているので、今後への期待も高まります。




 「いて座 A*」は天の川銀河のどこにあるのでしょうか。
 これは横から見た天の川銀河ですが、暗い空を探して1年かけて撮影した37000枚以上の画像を繋ぎ合わせて作ったというパノラマ画像です。明るく光っている中央の膨らみ「バルジ」の部分には年老いた恒星が数多く集まっており、「いて座 A*」はその中心部に潜んでいます。




 「いて座 A*」のリングの大きさは直径6000万kmで、中心の黒い部分はブラックシャドウと呼ばれ、そのものを見ることはできません。太陽の400倍の質量を持つブラックホールが作り出す強力な重力であらゆるものが吸い込まれ、光さえも脱出できません。しかし重力によって曲げられた周囲のオレンジのリング状の光、ガスや星などが放つ電波のお陰で、ブラックホールを初めて視覚的に捉えることができたのです。
 この動画は国立天文台により、望遠鏡によって得られた様々な画像を組み合わせて作成されたもので、地球から「いて座 A*」へズームする様子を体感していただけます。(音が出ますのでご注意ください)



Map of the Milky Way Galaxy(Wikipedia, 2021)

 これは天の川銀河の地図です。大きいものは銀河を真上から見た図、左下にあるのは横から見た図です。天の川銀河は棒渦巻銀河で、時計回りに回転しています。螺旋は「腕」Arm / Spur と呼ばれ、それぞれ「ケンタウルス腕(わん)」、「オリオン腕」などと名前が付いています。螺旋の中心部に「いて座 A*」Sgr A* 、その下に太陽 Sun の位置、星座の方角も示され、実によくできています。

 ところでシサスクは 2016年当時、「天の川の音楽」と題し、天の川の構造を図解しています。



 これが何かをパッと見てわかる方は多くはないと思いますが、上の地図を見つけてから理解が進みました。
注目していただきたい左半分をクローズアップ(図1)してご説明します。


     【図1】


 左の円の中心部が天の川銀河のブラックホール。そこから右の直線上に書かれた小さな黒丸は恒星を表し、ブラックホールからの距離(光年)が書かれています。太陽を含む恒星は、ブラックホールをいて座の方向(時計回り)に公転しています。いて座と逆方向は ほ座であること、太陽の公転周期が2億4600万年である(ブラックホールを一周するのに2億4600万年かかる)ことも書き添えています。ブラックホールに近い恒星は球状星団の密集域にあり、ブラックホールの周囲には重力半径(または「シュヴァルツシルトの半径」)と呼ばれる領域があります。そこは光すら脱出できない曲がった時空領域で、その半径よりも小さいサイズに収縮した天体がブラックホールと呼ばれています。天の川銀河は膨張する宇宙に乗るように秒速630kmで移動していると考えられていますが、図の中に示された6283という数字は残念ながら何を意味しているのかがわかりません。ブラックホールに最接近した時に秒速8000kmという速度で公転する天体も見つかっているので、それに近い恒星(秒速6283km?)をイメージしていただくのも良いかもしれません。

【四角い囲みについて】
オレンジ:ブラックホールを公転する恒星の速度(秒速)を示している。
ブルー:太陽はブラックホールから30000光年にあり、秒速 220kmで公転。
ピンク:シサスクの曲に生かされる理論上のピッチ。59、58・・などの数字は公転軌道を
    表していると考えられる。
   
 言葉ではわかりにくいので、NASAによる天の川マップをお借りしてシサスクの図解内容を画像に載せてみました。じっくり見比べてください。


Artwork by NASA

 私たちの太陽系は「オリオン腕」にあります。恒星たちの公転軌道(左方向への矢印)は「理論上のピッチ」の数字を色分けしてみました。
 シサスクが図解を作成したときは2015〜16年で、データは古くなって更新されているため、最新情報を記入しました。ブラックホールと太陽の距離は26000光年(近くなった!)、太陽の公転速度は240km/s (速くなった!)というのが 2022年現在の数値です。



 シサスクは《銀河巡礼〜赤道の星空》の補完作品として、四手連弾(狼と蝶)のための『天の川の心臓部』という自由な形式による作品を書いています。プリモが吉岡裕子(蝶)、セコンドが秋場敬浩(狼)が担当するようになっていますが、シサスクもシャーマンドラムで加わったら楽しそうです。いて座(AMBUR)に添えられた大きなハートマークには「故郷の銀河の中心」とあります。

 シサスクによる序文があります。

 天の川銀河は中型の渦巻銀河です。アンドロメダ銀河とならび、天の川には1500億個の星があります。天の川の中心はいて座にあり、その渦状腕はほ座と正反対にあります。私たち太陽系は渦状腕のすぐ近くに位置しています。
 この音楽の物語は、私たちを母なる銀河の中心、ブラックホールへと誘います。いて座を後にし、球状星団群を通って、シュヴァルツシルトの半径に到達、そこから光が逃げられない天の川の中心部へと入っていきます。このような小旅行の基本的な楽音は D、A、C#、F#、D、最後にE などです。


 曲はA〜Hの8部分からなり、シサスクが 図1 で表していた7つの恒星を「太陽」から順番にGまで、「ブラックホール」をHに当てはめることができます。調性の流れを和音で示してみたいと思います。 


   
              
   

  ブラックホールまで10000光年に近づいた Fis- dur(嬰ヘ長調)に現れるこの旋律は「球状星団」とでも名付けましょうか。年老いた球状星団にぴったりな、なんとなく古臭い音楽に感じるのは私だけでしょうか?





A(ラ) のクラスター奏法の後、F のff の H(シ)が突然現れ in Dに転調。
その後のG 、H でもクラスター奏法や内部奏法(弦を打つ)の後に転調。




 G で「シュヴァアルツシルトの半径」に突入か。四角にX印のマークは弦を打つ内部奏法。下の楽譜、セコンドの「・/・」では小刻みに弦を打つ内部奏法が持続する。プリモが dim. になってもセコンドは cresc. を続け、プリモをかき消すような内部奏法の後、in C(ハ長調)に転調。MUST AUK とはエストニア語で「ブラックホール」。


 H で奏でられるハ長調の清らかな旋律は四手連弾のための《ソンブレロ銀河》Op. 119 にも引用されているもので、《マディス》というエストニアの童謡です。《ソンブレロ銀河》の楽譜にはシサスクによる詳しい説明があり、おとめ座の M104(ソンブレロ銀河)にある巨大なブラックホール、球状星団など天体の構造についての言及とともに、この作品が ESOパラナル天文台(チリ)にある4台の口径8.2mの望遠鏡 VLT(Very Large Telescope)のうち、Antuと名付けられた望遠鏡によって 2000年1月30日に撮影された画像から着想を得たとあります。その画像を探してみたら、ありました! 

Sombrero(ESO)


 シサスクは説明の最後にこう記しています。

 私はこの宇宙には地球という惑星だけでなく、例えば M104という銀河系にも超文明が存在すると考えています。ですから私は《マディス》という童謡をこの新作に使っています。Madis Kahro は、2008年1月20日午後6時32分にこの世に誕生しました(彼の首には渦巻銀河が・・)。

 シサスクは《ソンブレロ銀河》作曲中に誕生した次男をマディスと名付けました。
一方、ESOのサイトを見ると、この画像が得られたのは2000年1月30日6時20分頃とあり、日付や時間が近いこともあるからでしょうか、マディスはソンブレロ銀河で生まれ、地球にやってきたと考えたようです。


 天の川銀河のブラックホール「いて座 A*」は永遠に出ることのできない終焉の地ではなく、再生と誕生の地、あるいはシサスクが表紙に書いたように「故郷」なのではないでしょうか。自分が生まれた場所は地球ではなく、マディスのようにどこか別の銀河からやってきたのかもしれません。ブラックホールは別の銀河へと繋がる道なのかもしれません。

 蝶(セコンド)だけの演奏になった《マディス》の旋律に導かれ、辿り着く場所はどんなところでしょう。ブラックホールに辿り着いた音楽は、太陽系外惑星「クイッティ・フイッティ」へと向かう時にも似たゆらめきと輝きを放つ音の粒とともに、力が抜けていくような世界に入っていきます。《マディス》の終わりの旋律がゆっくりと微笑むように繰り返されます。終わりではなく始まりでもあるかのように・・。ハ長調の幸福のハーモニーをどこまで追うことができますか? 響きの先に何が見えてきますか? 
  

2016年2月12日10時25分
フィンランドのトゥルクにて
           
《銀河巡礼〜赤道の星空》はドラマチックな旅を終えました。

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P.S.

   《ソンブレロ銀河》は実は狼と蝶、そしておそらくシサスクにとっても思い出の曲といってよいでしょう。2015年、シサスク初来日の際によみうり大手町ホールにて行われたコンサート「星を聴く人、ウルマス・シサスク〜舘野泉とその仲間たち」で、すでにシサスクに狼と蝶と呼ばれるようになっていた秋場&吉岡が日本初演しています。シサスクはその時、久しぶりにこの曲を聴けたと喜んでいました。「狼の主題」「蝶の主題」へと繋がる小品を作曲者自ら披露したのもこの来日の時で、なぜ狼と蝶」になったかについては、シャーマンを自称するシサスクが、2人のピアニストの背後に守護動物を見出したから・・とも言っていました。
  《ソンブレロ銀河》に関してもう一つ付け加えておきたいことがあります。《ソンブレロ銀河》のクライマックスに現れるテーマに、オラトリオ "Pro Patria"(祖国のために)のテーマが引用されているということです。このテーマはらしんばん座(夢見る者の幻影)やつる座(忍び寄る狼)にも現れていて、すでに詳しく触れました。シサスクが日本で私たちの《ソンブレロ銀河》の演奏を聴き、特に "Pro Patria" のシーンでは感慨深いものを感じたであろうことが想像できます。
  『赤道の星空』世界初演(2018年12月、秋場&吉岡&たかぎ氏)では、残念ながら時間の関係で演奏しなかった『天の川の心臓部』ですが、シサスクがどんな思いでここに《マディス》を引用したのかを想うと、必ずや演奏しなければと思っています。と同時にいまやそれをシサスクに聴いてもらえなくなったことが悔やまれます。
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次回は
《銀河巡礼》最終章『北極の星空』
カシオペヤ座です。

再生へ。シサスクは生まれ変わります。





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